准胝観音と二龍王、飛来する天女ら

節分祭も無事に終わり、七日間にわたり御祈願した御札を

受け取りに、皆さまがお参りに来られております。

そんな中、信者さんのお一人から、こんな質問をいただきました。

「中央の本尊さま、お像の両脇に立っておられる方は、どなたですか?」

初めてお参りに来られた方には、

本堂内で、どのような仏さまや神さまがお祀りされているのか、

一通りご説明しておりますが、

今回はあらためて詳しくお話しさせていただきました。

そんな出来事が昨日ありましたので、

今日は准胝観音さまの脇に立たれている二人の龍王さまと

他の眷属さま(浄居天)について、少し詳しくお話ししたいと思います。

さて、このお二人はどなたかと申しますと、

いわゆる「ご眷属」というお立場にあたります。

准胝観音さまの手となり足となり、本尊さまをお支えする存在。

会社で言えば、専属の直属の部下、といったところでしょうか。

お名前は難陀(ナンダ)と跋難陀(バツナンダ)。ご兄弟の龍王さまです。

向かって左が兄の難陀龍王、右が弟の跋難陀龍王になります。

この龍王さまたちは、法華経に登場することで知られる

八大龍王の筆頭に位置するお二方で

いわば龍族のトップツーと言ってよいでしょう。

諸経典に登場する八大龍王とは、

仏法を守護する存在の代表として挙げられる

(天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽)

この中の龍でその八王のことです。

インドではコブラのイメージで捉えられることが多く、

龍(ナーガ)族という一種族を指すとも言われます。

さて、ここでさらに疑問が深まります。

なぜ、その龍王さまたちが、

准胝観音さまの眷属として脇におられるのでしょうか。

これを理解するためには、

釈尊と准胝観音さまとの関係を明確にしておく必要があります。

特に真言宗や天台宗をはじめとする密教の諸宗派では、

神仏の成り立ちやお姿や持ち物一つに至るまで、

いわば説明書とも言うべき儀軌、一定の規則や伝承が定められています。

それによりますと、准胝観音さまは、釈迦如来(釈尊)と

同体であると説かれており、これが大前提となります。

そして重要なのが、先ほど触れた法華経にも関わる、

釈尊と龍王との関係です。

お釈迦さまが人としてお生まれになった際、

甘露の湯と水を交互に注ぎ、産湯としたという説話が知られていますが、

その役を担ったのが、この二龍王であったとされております。

また、釈尊が説法を行う法会には必ず参列し、

さらに釈尊入滅の場面を描いた有名な涅槃図にも、

悲しみにくれる二龍王の姿がしっかり確認できます。

とある儀軌に「難陀跋難陀事」というものがあり、

そこには次のように記されています。

難陀跋難陀事

蓮花者須彌山頂也。

須彌山難陀抜難陀之二龍王纒彼本。

準之可得意也。

凡難陀梵語。此云多頭。

抜難陀此云九頭。

此兄弟二龍釋尊誕生時。

以湯水令沐。

此二龍等覺位。是無垢位故。

以無垢水沐浴之令成妙覺。

此妙覺果滿釋尊與準胝同體故。

果滿後以等覺無垢二龍為坐也。

表此義二龍共扶蓮花莖也。

◉以下〜現代語訳

蓮華とは、須弥山の頂を表すものである。

須弥山には、難陀跋難陀という二人の龍王がおり、

その根元を巻いて守っている。

(星曼荼羅でもこの様な図像が確認できます)

このことをよく考えれば、その意味が理解できるであろう。

そもそも「難陀」はサンスクリット語で、「多くの頭を持つ」

という意味であり、「跋難陀」は「九つの頭を持つ」という意味である。

この兄弟である二龍は、釈尊が誕生された時、

香湯(清らかな水)をもってその御身を沐浴させた存在である。

この二龍は「等覚位」にあり、

すなわち「無垢(けがれなき)位」にあるがゆえに、

無垢の水をもって釈尊を沐浴させ、

妙覚(完全な悟り)を成就させたのである。

この妙覚の果徳が円満である釈尊は准胝観音と同体であるため、

悟りが円満に成就した後には、

等覚・無垢であるこの二龍を座(台座)とした。

この意味を表すために、

二龍が共に蓮華の茎を支えている姿が示されているのである。

ちなみに、准胝観音さまの尊像や仏画には、

龍王を伴わず単尊で表現されているものも多く見られます。

当山においても、両方のお姿がございます。

さて次は、龍王さまのほかに、

尊像上部に天女が舞う姿が描かれる場合についてです。

やや珍しい例ではありますが、厨子内に吊るされた形で

そのように制作されている例もございます。

その天女についても、ここで少し記しておきたいと思います。

この天女さまは「首陀會天」。

准胝観音さまに関する儀軌では

「浄居天(じょうごてん)」と記されています。

なぜ、この天女が描かれているのでしょうか。

儀軌には、次のようにあります。

問。必圖淨居天衆。其意如何。

答。此聖者親近佛。聽聞說法爲化度他方也。

此準胝佛母爲人道能化。說法利益故。

第一手作說法相。左第六手把輪。第七手把螺。

是表說法義。輪轉法輪摧破衆生罪惡。

故圖淨居天也。

◉以下現代語訳

問い

なぜ、わざわざ浄居天衆を図の中に描く必要があるのでしょうか。

その意味は何なのでしょうか。

それは、これらの聖なる存在たちは、

仏の近くに仕え、仏の説法を直接聞き、

その教えを他の世界へ伝えて人々を救う役目を担っているからである。

准胝仏母は、人間の世界においても衆生を教え導く力を持ち、

説法によって利益を与える存在である。

そのため、

第一の手は「説法の姿」を示し、左の第六の手には法輪を持ち、

第七の手には法螺(ほら貝)を持っている。

これはすべて、法を説くという働きを表したものであり、

法輪が回転することで、衆生の罪や悪を打ち砕くことを意味している。

このような理由から、准胝尊の図像には、浄居天衆が描かれるのである。

このようなことからも分かる通り、

准胝観音さまと二龍王との関係はもちろんのこと、

准胝観音さまと釈迦如来(釈尊)は同体であり、

人を悟りへと導き、修行者を守護し、

鼓舞し続ける母性的な性質を持つ存在であることが理解できます。

無量の仏を誕生させる「仏母」という性格も、

釈尊を淵源とするものであり、非常に納得のいくところです。

あらためて、このように本尊として准胝観音さまを

お祀りさせていただいている当山、そして私自身のお役目とは何か。

そのことを、また深く考えさせていただくことができました。

やはり、私が出家するきっかけをもたらしてくださった

観音さまであるからこそ、なおさらの思いが込み上げてまいりました。

合掌

蓮華の茎を扶く二龍王(當山本尊 准胝観音)

涅槃図での二龍王(ネットより抜粋)

星曼荼羅では須弥山に巻きつくお姿

准胝観音画 飛来する二浄居天