初心への思いを抱きながら本山へ
GWも終わり、いよいよ新緑の季節となりました。
草花も生き生きとしながら、日に日に湿気を帯び、
夏へ向かっていく空気感を感じながら過ごしております。
少しブログの更新が空いてしまいましたが、
私も家族も変わらぬ日々を過ごさせていただいております。
こうして病気や怪我もなく、ご飯をいただきながら
いつもと変わらぬ日常を送れることに感謝でございます。
節分明けから春先にかけては、伐木に伴う木々のご供養や、
引っ越し、普請に伴う家祓いなどのご相談が続いておりました。
さて、本日より関西へ向かっております。
明日から二日間、本山 醍醐寺 にて行われる「有部律授戒」へ
入壇するため、現在は仙台空港におります。
少し時間がありましたので、こうしてブログを書いております。
一般の方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、
「戒律」という言葉を耳にされたことはあるかと思います。
戒律と聞くと、お坊さんが修行や日々の生活の中で守る、
厳しい決まり事のようなもの。
そのような印象を持たれる方も多いのではないでしょうか。
「僧侶として守らなければならない約束事」と言えば、
察しの良い方はイメージできるかもしれません。
答えとしては、概ねその通りです。
ただ、ここで
「僧侶になって十五年目なのに、なぜ今さら?」
「本来は最初に授かるものではないのか?」
と思われた方もいるかもしれません。
実は、その通りなのです。
ここで少し日本仏教における戒律の歴史を少しお話しする必要があります。
日本に大陸から仏教が伝わった当初、仏教は現在のように法事や葬儀、
ご祈祷を中心としたものではなく、
どちらかと言えば国家的な学問・思想として受け入れられておりました。
そのため、今のように志があれば誰でも僧侶になれる時代ではなく、
寺の子息が継承していくようなものでもありませんでした。
国の許しを得た限られた者のみが学ぶことを許された、
いわば国家管理の宗教でもあったわけです。
しかし当時は、正式な得度を受けずに僧を名乗る「私度僧」も多く、
修行をせず堕落した僧侶も少なくなかったと伝えられています。
そこで唐より鑑真和上が招かれ、正式な戒律が日本へ伝えられました。
鑑真和上は754年、 東大寺 に戒壇を築き、聖武天皇をはじめ
多くの人々に授戒を行いました。
これが日本最初の正式な戒壇とされています。
その後、筑紫の観世音寺、下野国の薬師寺にも戒壇が築かれ、
いわゆる「天下の三戒壇」が成立しました。
以後、正式な僧侶となるためには、
これらの戒壇で授戒を受けることが必要となり、
国家による僧侶の管理体制が整えられていきました。
歴史的には、大まかにこのような流れになりますが
しかしながら時代が進むにつれ、日本仏教は多くの宗派・分派に分かれ、
それぞれ戒律に対する考え方も変化していきました。
戒律そのものの内容や、その受け止め方も時代ごとに
大きく変遷していったようです。
さらに我々真言宗は仏教の中でも「密教」という立場をとりますので
密教独自の戒律も護持しております。
そのため、より複雑な体系となっており、大乗戒に対する考え方も
様々に変化し、現在では真言宗において正式な授戒が行われている場も
非常に限られているそうです。主には高野山専修学院や、
仁和寺 の密教学院などで行われていると聞いております。
醍醐派本山である醍醐寺 でも、かつては上醍醐寺と下醍醐で、
それぞれ具足戒として四分律と有部律を護持しておりました。
しかし様々な事情により、長らく授戒を行うことができない時代が続き、
現在に至っているとのことです。
しかしながら今回は、長らく途絶えておりましたこの授戒が、
大先輩の先生方や本山職員の先生方のご尽力により
再び執り行われることとなり、
その有部律授戒へ入壇させていただく運びとなりました。
菩薩戒、求寂戒、苾蒭戒。古来より受け継がれてきた戒法を、
このたびご縁をいただき受戒して参ります。
修行道場を出てからというもの、
他山での授戒の機会をずっと待っておりましたが
なかなか良いご縁やお話を聞くことができずにおりました。
ところが今年に入り、急遽このような流れで本山醍醐寺にて
授戒が戒壇されることに本当に不思議なご縁を感じております。
明日の如法袈裟は、以前奉職しておりました寺院の檀家様方が、
私のために縫ってくださったものを被着しようと準備してまいりました。
様々なご縁や、多くの方々のお支えの中で、
こうして授戒へ向かわせていただけることに、
ただただ感謝するばかりでございます。
また初心に戻ってみる良いきっかけとも思います。
合掌

鎮守社の前で母親と
