伐木祈祷ついて
さまざまなご祈祷のご依頼をいただく中でも、
お寺をはじめてから、特に春から今時期にかけて多いのが
「伐木(ばつぼく)」木を切るという事に関するご相談です。
当地は農家の方も多く、敷地が広く一戸建てや
立派なお庭をお持ちのお宅も少なくありません。
とりわけご年配の方々を中心に、
木を切る際に気にかけてご相談くださる方が多いように思います。
このようなお話は、「祈り」や「信仰」といった目に見えない世界のこと。
「そんなのは迷信だ」と気になさらない方もいらっしゃるでしょう。
けれども私は、数あるご祈願の中でも、
この伐木に関しては特に丁寧にお祈りをさせていただいております。
「大きな木を伐るときは、必ず神様を拝んでからでないといけない」
これは、昔の人たちがよく口にしていた言葉です。
詳しいことは控えますが、
実際にご相談にいらっしゃる方のお話を伺う中で、
「木を伐った直後に家族が病気になった」
「良くない方角の木を切ってしまった」
といった事例も少なからずあります。もちろん、偶然かもしれません。
ですが、多くのケースで、供養やお祈りもなされないまま
木が伐採されていたということが見受けられます。
植物には私たち人間や動物のような心があるとは言えませんが、
それでも彼らもまたこの地球に生きる命であり、
森羅万象の一つであることに変わりはありません。
日本の仏教には「山川草木悉有仏性」
(さんせんそうもくしつうぶっしょう)という考えがあります。
これは山も川も草木もすべて仏性を有しており、
どれも同じ尊い存在であるという意味です。
日本のアニミズムや八百万の神と言った日本古来の思想や祈りとも
深く通じており、自然界のあらゆる存在が互いに関わり合いながら、
この世界を形作っているのです。
もちろん、生えた場所や状況によっては
伐採せざるを得ないこともあるでしょう。
また民家や敷地内であれば最初から人の手で植えられたものでしょう。
ご事情はそれぞれです。
ただ、もしこのブログをお読みになって、「もしかしたら…」と
何か心に引っかかるようなことがございましたら、
是非お近くのお寺や神社さまへご相談なさってみるのも良いと思います。
合掌