神仏和合の祈り

タイトルにもありますように、当院は「神仏和合」の寺であります。

まだ開山間もない頃のこと、庭の手入れをお願いしていた

地元の職人さんが、少し不思議そうにこんなことを聞いてこられました。

「お宅さんのここって、

神さまなのか仏さまなのか、いったいどっちなんだい?」と。

もちろん、ここはお寺です。

仏教の道場であり、ご本尊は観音さま。

線香を焚いて、お経をお唱えする場です。

けれども、神さまも一緒にお祀りしています。

私のところでは、仏さまも神さまも、

どちらも手を合わせて拝ませていただく、

そんな祈りのかたちを大切にしています。

その時も、そうお答えするとともに、明治時代に起こった

神仏分離令や、それ以前の日本における神仏習合の歴史について、

少しお話をさせていただきました。

かつての日本人にとって、寺院も神社も、神仏習合という考えのもとで

ごく自然に共存していました。

神さまの御前で僧侶が読経を行う姿も、ごく普通の風景だったのです。

神道といっても、現代のような独立した宗教体系ではなく、

むしろ仏教の中に神道が含まれている、あるいは密接に関連し合っている

という理解が主流だった時代もありました。

特に真言宗や天台宗といった密教系の宗派では、密教思想をもとに

神道解釈を深め、独自の神道観を構築し発展させてきた歴史もあります。

さらに申し上げれば、私の所属する宗門は「當山派修験道」の

法流本山でもあり、神仏習合の特色は一層濃く受け継がれております。

現代では、「お寺=仏教=葬式」「神社=神道=祈願」といったように、

寺と神社をまったく別物と考えるのが一般的かもしれません。

特にここ福島では、地域的な特性もあるのか、

多くのお寺が葬儀・法事・回向を中心とした、

いわゆる滅罪寺としての活動に専念されています。

そうした中で、当院のように地鎮祭、屋敷神や神棚祭祀、家屋のお祓い、

自動車加持、伐木祈祷などを日々行い、

さらには月例の護摩を修していると、「ここは一体…?」と

不思議に思われるのも無理はないかもしれません。

実際、護摩を初めて見ました。テレビでしか知らなかった。

という方が多くいらっしゃいます。

とはいえ、当院は決して祈祷だけを専門とする寺ではありません。

ご相談ご依頼があれば、葬儀や法事、先祖供養なども、

仏教寺院としてしっかりとお勤めさせていただいております。

また葬儀は一切行わず、祈祷のみを行うというお寺様もいらしゃいますが

当院では、祈祷だけでなく、滅罪や御弔いもまた、

仏教の本来の役目であると考えております。

祈りとは、目に見えぬご縁を結ぶもの。神仏をともに敬いながら、

日々の暮らしの中に祈りを根づかせていけたらと願っております。

本日、伊達市梁川は全国2位の酷暑。

どうぞ皆様もご自愛してお過ごしください。

合掌