准胝観音さまと私の出会い
今日は、当院のご本尊であられます准胝観音さまと、
私自身の出会いについて少しお話しさせていただきたいと思います。
このホームページで私のプロフィールをすでに
ご覧くださった方もいらっしゃるかもしれませんが
当院、天王山浄聖院教会は、令和3年に開山いたしまして、
現在4年目を迎える新しい寺院です。
いわゆる、歴史ある古刹のように何百年の伝統を持ち、
有名な仏師が手がけた文化財級の尊像などは一切ありません。
仏具や尊像に至るまで、すべては私が僧侶となってから
十余年の間に、さまざまなご縁をいただきながら、
一つひとつ集まってきたものばかりです。
そんな中で、私と最も長いお付き合いとなっているのが、
本尊准胝観音さまです。そしてこの仏さまとの出会いがなければ、
私はおそらく僧侶という道を志すこともなかったでしょう。
これは、はっきりと申し上げられます。
時は遡り、私が20歳を迎えた直後のことでした。
たしか成人式の前日だったと記憶しております。
地元の百貨店で開催されていた中国物産展のような催事に、
何の気なしにふらりと立ち寄りました。
そのとき、ふと目に留まった小さな鋳物の仏像を、
なぜか理由もわからず一目惚れと言いますか、
とても惹かれる思いがあって購入したのを覚えています。
それが、今思えば私のご本尊となるべく現れてくださった
准胝観音さまでした。
このお像は、現在も小さな厨子にお納めし、
本尊さまの傍らで大切にお祀りしております。
とはいえ、当時の私は仏教に関心があったわけでもなく、
お経を唱えるような習慣もありません。
ただのインテリア感覚だったのでしょう。
そのお像は、カラーボックスの上に置かれたまま、
すっかり存在も忘れられ、長い年月を過ごすことになります。
それから約17年が経ち、私が37歳の年、
人生の転機を迎える出来事がありました。さまざまな問題に直面し、
心が重く、苦しい日々を過ごしていたとき、気の合う友人たちと
山形の霊峰・月山へ登山(いえハイキングですね)に出かけたのです。
頂上に着いてその風景や空気感を目の当たりにして
もう言葉では言い表せないほど何とも言えない清々しい気持ちに包まれ、
それまでの悩みが嘘のように軽くなったのを覚えています。
理由は分かりません。とくに霊的な話をするつもりはありませんが、
「なぜ自分の心はここまで変わったのだろう」と不思議に思いました。
そして、ここは霊山。神仏のいらっしゃる聖地だということを
強く意識するようになったのです。
下山後、私は月山や出羽三山について調べるようになり、
仏教という世界に出会いました。
すぐに20歳のときに手に入れたあの小仏像のことを思い出し、
実家の母に電話して探してもらうことにしました。
最初は「そんなもの見たこともない」と言っていた母でしたが、
私が場所を詳しく説明したところ、脚立でようやく届くその場所から
埃まみれの小さな仏像を見つけてくれました。
ただ、あまりの状態の悪さに母親には「気味が悪い」
とまで言われてしまいました。どうやら、長年放置されていたため、
私のタバコのヤニと埃でべったりと茶色くなっていたようです。
私はどうしてもそのお像を直ぐにでも迎えに行きたくなり、
夜中にもかかわらず車を走らせ、山形から実家へと向かいました。
17年ぶりに手にした尊像は、べったりとヤニと埃で汚れて酷いお姿でしたが
お顔を見た瞬間、込み上げる思いがあり、なにか申し訳ない気持ちで
いっぱいになってしまいずっと涙が止まりませんでした。
自宅に戻り、歯ブラシと洗剤で綺麗に洗い流し、
こうやって今戻って来られた。有り難くも、でもかたじけない思いばかり。
その後、この仏さまがどなたであるのかを調べていくうちに、
東南アジアの寺院にある同じお姿の尊像を見つけ、
そこには「Cundi Bodhisattva」
すなわち准胝観音さまであることがわかりました。
これが、私が初めて「この方は准胝さまだ」と明確に認識した瞬間でした。
このような仏さまを無碍に扱うことはできない。
何かきちんとして差し上げたい。そう思い立ち、
お像を携えて訪ねたのが、現在の師匠のお寺でした。
こちらは以前の職場のすぐ近くで、きっちり場所も把握しており
なんとなく安心感があったのです。でも、お参りしたことも無いし
お寺の方とも面識があったわけでもありませんでしたが
何故かその時は、お任せすれば良いのだと。強くそう思ったのです。
それからまもなく僧侶の道を志し、
醍醐寺の伝法学院に入学するまでに、そう時間はかかりませんでした。
本当に不思議な流れでしたが、あのときが私の人生最大の転機となった。
そのきっかけとなったのが、他ならぬ准胝観音さまでした。
本日はここまでです。
続きはまた折にふれて、お話させていただければと思います。
南無准胝佛母観世音菩薩
合掌
西国三十三観音、十一番上醍醐寺 准胝観音 御詠歌
「逆縁も もらさで救ふ 願なれば 准胝堂は 頼母しきかな」
意味:
仏に逆らうような悪業を多く重ねた者でもすべて准胝観音様はお救いになる