宗教‥という響き

昨日は秋季彼岸会の中日法要を厳修し、

信徒各家累代一切精霊、有縁無縁諸精霊、三界万霊の追善供養として、

増進仏果と滅罪生善を祈念いたしました。

ここ伊達市梁川町は旧郡部の小さな町ですが、

人口や規模に対してお寺の数は少し多く感じます。

禅宗のお寺さまが大半ですがどこも立派なお寺で、

田舎ということもあり墓地もしっかり併設されています。

当院のすぐ近くにも他寺院の管理による飛地の墓地があり、

彼岸中の今は多くの方がお墓参りに訪れています。

お花も新しいものに替えられ、どのお墓も綺麗にしてる。

近年、宗教離れや墓じまいと言った言葉を多く聞きますが

こうした光景を見ると、少なくともこの地域では

まだ都会ほど深刻ではないように思いました。

とは言っても、はっきり申せば、これは時間の問題でしょう。

ところで、日本人に「宗教を信じていますか?」と尋ねると、

多くの方が「私は無宗教です」と答えるといいます。

これもニュースや話題でよく聞く話です。

実際には、家に仏壇があって手を合わせますし、正月には初詣。

寧ろ初詣は必ず行きます、ってお宅の方が断然多い様な気がします。

旅行では寺社仏閣に立ち寄って御朱印をいただく方も増えている。

そこに「信仰心」という自覚はないかもしれませんが、

心のどこかで目に見えないものに願いを寄せ、

大切に思う気持ちを持っているのが日本人らしさなのではないでしょうか。

広辞苑で「宗教」を引くと

「神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事」とあります。

けれども、この説明は日本の宗教観とはどこかしっくり来ません。

というのも「宗教」という言葉そのものが幕末から明治にかけて、

西洋語を翻訳して作られた言葉だからです。

キリスト教をはじめとした一神教的な価値観を前提とした概念ですので、

多神的で包括的な日本の信仰のあり方を表すには

やや違和感があるのかもしれません。

また「宗教」と聞いてアレルギー的な反応を示す方がいるのも事実です。

オウム真理教による過去の悲惨な事件や、霊感商法などの悪徳詐欺。

「宗教=危ないもの、まやかし、うそ、騙される」など。

そんなイメージを持たれてしまったのは、確かに否めませんね。

宗教そのものが(ここでは仏教や伝統宗教)悪なのではなく、

そういった事件を起こした人間の問題であることは言うまでもありません。

しかし、それ以前に私ら側にも相当な問題があると思っております。

むしろ「宗教離れ」というより「宗教者離れ」なのかもしれません。

仏教の世界で言えば「坊さん離れ」でしょう。

私たち僧侶は改めて自らを省み、

人に信頼される宗教者であるよう真剣に努めていかなければならないと、

彼岸会を終えて改めて感じております。

合掌

宮城蔵王の大鳥居